2007年7月9日月曜日

ナダルのブログ@WB07-15(最終)

2007年7月9日(月)


ハイ、みんな。

どこから始めよう?というか、どこで終わらせよう、と言うべきか・・・これが最後になると思う。ウィンブルドン2007が始まってからずっと書いてきたこの日記の最後だ。昨日の夜書くこともできたんだけど、多分それをやるのが一番いいことじゃなかったってことはみんな分かってくれると思う。

どうしてパリで最後のブログを書かなかったのか、たくさんの人に聞かれたよ。理由はハッキリしてる。僕たちはお祝いに出かけてて時間がなかったんだ。試合が終わった後、パーティが終わるまで僕は立ち止まることもなかった。ここでは今日は、というか昨日は、違ってたけど。

細かいことは言わないでおくよ。いろいろなことについて、どう感じたか、何を思ったか。ただ、この2週間のすばらしい思い出が残ったとだけ言っておく。僕は進歩したし、学んだし、いい試合をした。難しい試合をね。そして再び決勝まで来た。

決勝で起こったことはもうたくさん書かれたり分析されたり言われたりしてる。ひとつだけ言っておくと、僕は悲しかった。決勝に負けてすごく悲しかった。勝てると思ったんだ。ロジャーは最高の選手だ。みんなそのことは知ってる。でも昨日は僕にもチャンスがあったんだ。もう終わったことだから、これ以上考えない方がいいよね。(でもそれは難しいんだ!)

これは僕が試合について感じたことを書くためのブログじゃないけど、みんなが知りたいのはそのことだと思う。さっき言ったように、僕は悲しかった。すごく悲しかった。試合の直後はね。でもいつも言ってるように、僕は負けるのも上手ですぐに忘れるんだ。人生には、僕たちの住む世界には、本当にひどいことや深刻なことがある。試合に負けるのは、たとえそれが「あの」大会の決勝だったとしても、それで大きな影響を受けるのは僕だけだ。だから、それでいい。僕は対処できるから。また来年トライするし、上達し続けるよう一生懸命取り組むよ。

今夜はこのブログを家で書いてる(というか実は口述筆記だけど)。マナコールの僕の本当の家で。

夕べは静かな夕食を取った。トニおじさんとその奥さんのJoana Maria、ミゲル・アンヘルおじさん、ラファ・マイモ、ベニト、Tuts。それだけだ。

シンプルで、静かで、簡単な夕食。僕たちは夕食の間よく喋って、YouTubeで面白いものやスポーツ関係のものを見たりした。おじさんがサッカーをやってた頃を思い出して、偉大なサッカー選手のゴールを見たり。
何も特別なことはないでしょう?ハッピーな夜じゃなかったかもしれないけど、いいんだ。僕の父と母、妹、カルロス・コスタ、マリア・マグダレーナと他の人たちはIMGに夕食会に行って、それから少し眠って、ロンドンを朝早く発った。そういう予定だったから。

勝っても負けても、家族と一緒に6時のフライトを予約してあって、9:15に到着する予定になってた。だから僕たちは家を3:30に出て空港に向かった。あまり眠れなかったけど、少なくとも早く家に帰って1日多く休暇が取れる。多分金曜日まではここにいて、テニスはしない。

終わりに(as a closing thing)(表現が貧しくてごめん)、このブログを書くのを助けてくれた人たちに感謝したい。

毎日僕を助けてくれたPRマネージャーのベニト。僕にアイディアとファンからのフィードバックをくれた、僕のマネジャーで友達のカルロス・コスタ。
主催者で、僕に書くスペースをくれたThe Times。ここに書くのに求められるレベルを僕が満たしてるといいんだけど。将来、ここで第2のキャリアを持てるかもね。:-) 
この企画を進めてくれた新聞社のニールとジェイムズ、それから特に、僕たちにガンバを送ってくれたジェイムズに。

そして、このブログを読んでくれたみんな、僕を応援してくれたみんなに特に大きな感謝を捧げるよ。たくさんの人が読んでくれたそうだから、嬉しいよ。本当は、どうしても書くような気分じゃないこともあったけど、歩み寄ったんだ。だから、謹んで受けてくれなくちゃね。

みんな、ありがとう。

Rafa Nadal


2007年7月5日木曜日

ナダルのブログ@WB07-12

2007年7月5日(木)


記者会見で最初の質問は、2セットダウンになったときどんな気持ちだったか、だった。明日マヨルカに帰ることになると思ったかって聞かれたよ。僕は明日じゃなくて、今日の午後だと思ったって答えた。ユーズニーはすばらしいプレーをしてた。僕のテニスはベストじゃなかったけど、彼は間違いなくすばらしいプレーをしてた。

だから、今日このブログを書けてうれしいよ。どっちにしろ書いてただろうけどね、結びの記事を書くつもりだから。全仏オープンの時は結びのを書かなくて、そのことを言われたんだ。でもあれが最後の記事になってたはずだよ。

あと、みんなにどうやってやったのかって聞かれたよ。どうやってすばらしいプレーをしてる選手相手に2-0から巻き返すことができたのか。答えはごく簡単で、ただ最後のポイントまで戦っただけなんだ。どんな時でも勝つチャンスはある。戦って戦って、戦うんだ。今日はその例だよ。昨日言ったよね、すごく難しい試合になるだろうって。

あと、ベルディヒについて、マドリッドで戦って問題が起きた後どうなってるかという質問もたくさん受けた。僕にとっては、これはもう過去のことなんだ。今日、彼の試合の後おめでとうって言ったし、この前彼がハレで優勝した後も言った。だから、過去のことは忘れたよ。そして、明日は彼が勝利者候補だって分かってる。

僕たちはまた早い時間、午前11時に試合をする。
つまり、またかなり早く起きて、9時半ごろには会場にいなきゃならない。これが会場の近くに滞在する方がいい理由のひとつだ。(ひとつに過ぎないけど)。会場に歩いて行けて、2分で着く。ロンドンのホテルに滞在してる選手たちはもっと早く来なきゃならない。車で30~45分かかるからね。大会の最後になると、これはすごく重要なんだ。こうやって、ずっと多く休めるから。

それと、僕のチームの人が、僕が昨日記者会見で言ったことをウィンブルドンの大会側はあまり喜ばしく思ってないって言われたらしい。僕は彼らに逆らうようなことは言ってないと思うんだ。いつでもこれはすばらしい大会だって言ってきた。無二の大会、僕にとってもどの選手にとってもすごく大切な大会だ。でもそれは、彼らがすべてうまくやってるって意味じゃない。このイベントを運営してるのは人間だし、僕がコートの中でも外でも間違いを犯すのと同様に、ここでも間違いがあったと思う。それが何だったのかもう一度繰り返すべきじゃないと思うけど、日曜に試合をしなかったり、15分だけコートに出させたり、雨のこととか、そんなことについて僕が言ったようなことを言ったとしても、彼らは気を悪くするべきじゃないと思う。彼らのせいじゃないし、わざとやったわけじゃないのは明らかだ。これははっきりさせておきたいと思う。この大会は他にはない大会で、僕はこの大会を愛してるんだから。

話は変わるけど、会場で僕のフィジオ、ラファ・マイモのワークを受けてから家に帰った。今週はそうしてるんだ。普通はホテルに戻って、そこで彼のワーク(マッサージとか)を受けるんだけど、計画を変えなくちゃならなくなった。いつも持って来てるマッサージテーブルが壊れて、僕が落ちたんだ。なんだかおかしかったよ。マイモがワークしてるときに僕は床に落ちて、ありがたいことに何もなかった。そういうわけで、僕たちはワークを家じゃなくて会場でやってるんだ。

僕は6時に帰って、ずっと家にいた。インターネットでのチャットと料理の準備の時間だ。ベニトとカルロス・コスタがウィンブルドンに飲みに行くって言うから、パスタ用にガンバとタマネギを買って来てくれるように頼んでおいた。そうしたら突然誰かが家のベルを鳴らして、ガンバ(小エビ)の入った大きな袋を僕に渡したんだ。僕はびっくりしたし、それが何なのか分からなかった。ただ「ありがとう」と言って、言ったようにちょっとびっくりした。
その後二人がタマネギだけ持って帰って来てから、来た人が魚店(Fish shop)(これ正しい単語じゃないよね。食用の魚を売ってることろのことだよ)のオーナーで、ここの新聞社でも仕事をしてる人だって聞いたんだ。彼の名前はジェイムズっていう。親切にエビを持ってきてくれてありがとう。すごくおいしくて、満喫したよ。ベニトが言うには、この分は借りだそうだから、ちゃんと返させるようにするよ。:-)


明日はどうなるかな。

Hasta maniana.

Rafa.


2007年7月3日火曜日

ナダルのブログ@WB07-10

2007年7月3日(火)

本当に、今日はすごく嬉しい。一生終わらないかと思ったよ。それに、何度も負けると思った。第3セットのタイブレイクの後、それにその後いろいろなことが起こって、本当に、勝てないと思った。だから本当に、本当にうれしいと言わなくちゃならない。たくさんの疑いを抱いたけど、固い決意でなんとか集中を保つことができた。

最初に試合できてよかったよ。とにかく仕事を終わらせて、休むかマヨルカに帰るかしたかったんだ。すごくがっかりしただろうけど、でもそれが現実だからね。

ロッカールームで何時間も過ごしたよ!!!あそこでこんなに長く過ごしたことはないと思う。大会の1週間を通じてもね。時間が本当にゆっくり流れるんだ。

今日は記者会見でメディアからの質問にたくさん答えて、それからこのブログの読者の質問にも答えた。ソダーリンのことでたくさんの質問を受けて、彼もプレスで質問されたって言われた。何て言っていいのか・・・メディアでの僕のコメントは行きすぎだったかもしれない・・・今日はいろんな感情が湧いてくるよ・・・僕はでっちあげをするような人間じゃない。もう、このままにしておこうと思う。5時ごろ家に戻って色々なことを考えた。すごく残念だ。

言ったように、5時ごろ家に戻って、パソコンの前で過ごした。友達と少しチャットをして、父と電話で話した。父とはいつも話すんだ。プレステをいくらかやってキッチンに戻って夕食を食べた。

明日はまた早い時間にモーニング・コールがある。どうなるかな。ユーズニーは大事な時に僕を倒したことがある、すごく難しい選手だ。

すごく短いブログでごめん。明日はもう少し書くようにするよ・・・:-)

またね。

Rafa


追記:
*ソダーリング戦後のナダルのインタビューはこんな感じでした。

ナダルのインタビュー@WB07 3回戦(対ソダーリング)後

Q:マラソンを終えてどんな気分?
N:すごく嬉しい。勝ててすごく嬉しいし、試合が終わってすごく嬉しい。それが今日一番大事なことだ。

Q:ウィンブルドンの典型的な最悪のコンディションですね。
N:こんなだったことないよ。たぶん、僕は5年になるけどこんなのは思い出せない。多分、キャリアで一番タフな試合だね。

Q:どれぐらいタフだった?
N:信じられないほど。中断はいつでも彼より僕に対してタフだった。僕の方が勝ってたから。タイブレイク7オールで中断したのは、起こりうる最悪のことだった。彼を倒すところで、セットでもブレイクでもいいプレーをしてた時に中断だ。第3セット2-0 30オールでまた中断。いつでも僕にとってすごく難しい瞬間だった。最後の中断は4オールで僕にとって最悪じゃなかったけど。全部僕のサーブの時だったんだ。相手はそんなにプレッシャーを感じずにプレーできる。毎回最初のポイントは僕のサーブだからね。僕にはすごくタフだったよ。

Q:最後のマッチポイントはハラハラしましたね。7-5で勝つ前、自信はどれほどありましたか?
N:今日コートに出るとき、負けることもありうるし、勝つこともありうると分かってた。僕はそれを受け入れようと思った。最高の態度で臨み、最善を尽くそうと思った。どんなこともありうると思ったよ。

Q:月曜日にもマッチポイントがありましたね。夜、自分がマッチポイントを握ったと思いながら眠ったでしょう。夕べも自分がマッチポイントを握ったのにと思いながら眠ったでしょう。次の日も戻ってきてプレーしなきゃならないのは、すごく難しいことでしたか?
N:そう、タフだった。難しかったよ。マッチポイントはこれぐらいでアウトだったんだから。いいポイントをプレーしたんだ。すぐ忘れてプレーを続けることを考えたよ。すごく、すごくタフだった。彼のプレーはどんどんよくなってたからね。僕は有利な立場を守らなきゃならなかったから、タフだったよ。

Q:プレーの合間には何をしていたの?
N:毎日ロッカールームに8時間とか9時間とかいたよ。

Q:ゲーム中、ソダリングのプレーをどう思った?彼の振る舞いはどう?
N:ほんとに、正直言って多分最悪だよ。だって僕が・・・(スペイン語で)
モデレーター:ネットの近くで転んだとき、彼は謝ったり助けたりしようとネットまで来ることもしなかった。
N:そのあとだって、ネットに当たって反対側にボールが落ちた時だって、あやまらなかったし。試合が終わった時だって、手なんてこんな風で、ちょっとだけ(顔をそむける)。4日もやった後なのに、普通じゃないよ。
ロッカールームでも、他の選手に対して・・・彼はロッカールームで最高の人物じゃないね。

Q:ロッカールームでどんななの?
N:いや、何も。何もないよ。

Q:彼があなたをからかった時には頭にきた?パンツを引っ張ってみんなが笑った時は。
N:僕は、ただ勝つことと試合のことだけ考えてた。あんなことに巻き込まれたくなかったんだ。そんなことは考えない。本当のことを言えば、あまりいいものじゃないよ。彼にとってもね。でも誰でもやりたいことをやる権利がある。最後には、人生の最後にどうなるかそのうち分かるよ。

Q:昨日は第2試合でしたね。ほとんど試合ができませんでしたが、第1試合でなくて気を悪くしませんでしたか?試合が終わらなくて。
N:それは理解できるんだ。その前の日は1日中試合だったから、大会が今度はひと試合あとに入れたのは理解できる。でも分からないこともあるよ。どうして日曜に試合がなかったのかが分からない。天気はまあまあで、昨日や月曜、今日よりはるかによかったんだ。どうして彼らが昨日キャンセルしたのか分からない。8:10には太陽が出てて、1時間出てたから、僕たちは1時間試合ができたんだ。どうして15分試合をするためにコートに出なきゃならないのか分からない。彼らはメテオ(?meteo)を持ってるから分かってたはずなんだ。これは選手にはすごくタフなんだよ。多分彼らはあまり選手のこと考えてないんだろうね。

Q:次の対戦相手はミハイル・ユーズニーですね。次のマラソンを始める準備はできてる?
N:ユーズニーはすごい選手だ。とてもいいシーズンを送ってる。僕にはすごくタフな試合になるだろうね。ハードコートで2回彼に負けてるんだ。去年のUSオープンのQFと今年のドバイで。一番最近はローマで彼を倒した。でも今日勝って自信を感じるんだ。でももちろん今日は少し疲れてるよ。毎日、毎時間すごい緊張だったから。最善の準備をするよ。午後少し練習して、明日は最善を尽くす。でも、どんなこともありうるよ。

Q:この数日の経験は、ウィンブルドンでのあなたの戦いにどれほどダメージを与えましたか?一方のロジャー・フェデラーは幸運をつかんで順調ですね。問題を乗り越えていけると思う?自信はありますか?問題があっても切り抜けていけると思いますか?それともこの数日でチャンスが損なわれたと思う?
N:僕の意見では、下のドローのチャンスは上より低いよね。とにかく、明日プレーして勝っても負けても、他の選手にはチャンスは少し少ないよね。連続で何日もプレーしなきゃならないから。もう一方のロジャーのいるドローは・・・・ロジャーは先週休暇をとってたようなものだよ。

Q:それでも勝てると信じてる?
N:僕が信じてるのは、明日は難しい試合になるってこと。明日はベストを尽くすってことだよ。

Q:まだ雨と芝と待機のウィンブルドンを愛してる?この大会をどれぐらい愛してる?
N:大会の後は分からないけど、今はちょっとだけ、来たときより少ないな(smiling)。とにかく、信じられない大会だよ。

Q:頻繁に出たり入ったりする時、自分をシャープに保つために通る精神的なプロセスがある?
N:いや、僕はただ(聞き取り不能)しようとしてたんだけど、最初はタフだった。でも、5回目になったら、もう冗談みたいなものだよね。疲れた。すごく疲れたよ。ロッカールームまで歩いて、コートまで歩いて、毎回。

2007年7月2日月曜日

ナダルのブログ@WB07-9

2007年7月2日(月)

今日も雨だった。もうニュースですらないよね。慣れてきたかって?:-) それはないな。でも誰かのせいにする気はないよ。今年は1914年以来の雨の多い6月(今は7月だけど)だそうだから、何か不可解なことが起こっているのに違いない・・・

スペインでは、「雨の日にはいい顔を」(to bad weather, good face (al mal tiempo buena cara)って言うんだ。絶対正しい訳じゃないと思うけど、僕は(僕の翻訳者も)この諺を英語でなんて言うのか知らないんだ。だから、from lost to the river (もうひとつ別のやつ・・・)
*注:分からないですが、「迷ったら川へ出ろ=最善でなくても出来ることをやれ」というような意味かなあと推測・・・

でも、まず最初に、僕はウィンブルドンを批判したんじゃないってことを言っておきたいんだ。僕が大会を批判したと言ってる人がいるらしいけど、僕が言おうとしたのはそういうことじゃない。僕は昨日の日曜日に試合をしないのは信じられないと言った。信じてほしいんだけど、試合をやらなかったことを批判する意図で書いたんじゃないんだ。失意の表現みたいなもので、他の意味はない。この大会がどういうものかは分かってる。それはこのブログの最初の日に書いたよね。僕は分かってるし、みんな分かってる。でも同時に、日曜に試合をしないことについて僕が言ったようなことを言ってもいいと僕は信じてるし、誤解してほしくないとも言った。

つまり、僕たちはみんな天気予報で(ここでは特によく当たるけど)、今日も明日も水曜も雨になるって分かってた。だから、日曜に僕たちに試合させないなんておかしいって言ったんだ。今日も雨で何度か中断しなくちゃならなかったし、僕は試合を終わらせることすらできなかった。日曜に試合してたら、もう少し先に進めたかもしれない。でも僕も、試合をさせないのには何か理由があるに違いないって分かってる。そう断言しなかったら、みんなに納得して仕事をしてもらうのは簡単じゃないんだろう。言った通り理由は分からないけど、彼らに正当な理由があるのは確かだよ。

何にしろ、僕は今日試合をしなくちゃならなかったと思う。つまり、僕とソダーリンだけど。明らかに、どちらが大会を勝ち進むにしろ、ほとんど毎日試合をしなきゃならない。でもこれも批判じゃなくて、ただのコメントなんだ。この大会には独特のものがたくさんある。僕はそれでいいと思うんだ。

僕の方は、気を楽にして、落ち着いて受け止めてるよ。明日はすごく難しい試合の結末を迎える。このスポーツはすごく複雑で、今日みんなはそれを見て、僕はまたそれを経験した。マッチポイントを握りながらコンバートできず、今またこのすごく難しい試合を終わらせるのを待ってる。それでも、僕は多くのことに満足してるよ。明日うまくいくかどうかは分からないけど。

話は変わるけど、ゴッド・ファーザーの続きを見てる。DVDは10時間もあるから、こんなに長くかかるんだ・・・見終わったら今度は英語で見るかもね。みんな僕の英語のためにはそれがいいって言うんだけど、ついていくのがすごく大変なんだ、というか不可能なんだ。だからスペイン語で見る方がいいな。で、いつか、いつかは分からないけど、英語で見るよ。

もうあまり言うことがないから、昨日もらった質問に全部答えたよ。みんなが楽しんでくれるといいんだけど。また明日書くよ。

Ciao everyone.

Rafa.


2007年6月30日土曜日

ナダルのブログ@WB07-7

2007年6月30日(土)

みんなに誤解させてしまったらごめん。悪く取らないで欲しいんだ。
でも今日は完全にガッカリした1日だった。つまり、1日中待って何もなし。プレーもなし、試合もなし、練習もなし、何もなし!

昨日言ったように、今朝はかなり早く起きた。11時に練習が組まれてたんだ。起きて雨が降ってるのを見たとき、心の中で「またか!」って言った。信じられないよ。雨、雨、雨、また雨。去年はいい天気だったのに。今年がこんな風だなんて信じられない。

とにかく、試合はないと思ったから、午前中は家にいた。トニはクラブに行っていろいろチェックして来た。僕はラファ・マイモと家で映画を見てた。El Padrino 2を終わりまで見たよ。いい映画だ。

その後、クラブに行って準備することにした。試合を始められるかもしれないって言われたんだ。だから僕たちは会場へ行って今日はそこでランチを食べた。いつものように魚のパスタを食べて、それからロッカールームへ行って準備した。僕たちの前の試合が終わったのを見て、僕たちもプレーできるだろうと思った。試合に呼ばれた時はよかったと思ったよ。

唯一悪かったのは、僕は今朝全然ウォームアップしてなかったってことだけど、これはソダーリンも同じだったんじゃないかな。二人とも、試合が始まる前にセンターコートでの例の10分間のウォームアップをしただけだった。それだけ。こんなこと今までなかったから、なんだか奇妙だったよ。みんな知ってると思うけど、僕たちはほとんど試合を始めるところだったんだ。でも、あーあ、ちょうど始める時に雨が降り始めた。

ロッカールームに戻ると、トニが僕に、試合が始まった場合に備えて、体を温めておくために屋内で打ち合いをしようと言った。ウォームアップを十分やってから試合を始めるのは大切なんだ。そうして、緊張はほとんどなくなって、腕や筋肉がもっとリラックスしてきた。
その後、家に帰ってまた試合に呼ばれた場合に備えて待ってた。こういう時は集中したままでいるようにしてて、プレステとかそういうことはやらない。ただ家に帰ってTVで試合をいくつか見てた。

今はグローサリー(食料の買出し)から戻ってきたところ。フェリはマドリッドに戻ってしまったから、彼の不在を感じるよ。本当に、もうこの家に僕たち3人しかいないんだ。料理には何ら影響ないけどね、フェリはあまりやらなかったから。:-) 実は彼のガールフレンドがいつも料理してたんだ。ハハハハハ。

でもまじめに、彼がいなくて寂しい。

夕食前と買い物に行く前にプレステをやった。モリーナが勝ってた。僕じゃなくて、ベニトとラファ・マイモに。信じられない!!!この前僕は10-1で彼を負かしたのに、うまくなってる!

僕たちはまた同じものを買った。そのうち今食べてるものに飽きるだろうな。(えっ!?飽きる!?)

とにかく、今日はこのブログをかなり早い時間に書いた。明日はウィンブルドンでは試合はない。今日プレーできなかったことを考えると、本当に理解できない。つまり、月曜日に試合して、二人のうち勝った方は火曜日も、もし勝てば水曜もだ。理解できない!!!

Hasta manana.

Rafa


2007年6月29日金曜日

ナダルのブログ@WB07-6

2007年6月29日(金)


やあ、みんな。(Hi there)


今日は普通に、階下での朝食から始まった。
そういえば、この家がどうなってるのか説明してなかったから、これから説明するよ。

家は3階(3 stages)建て(スペイン語ではplantas。正しい単語を使えてるといいんだけど)になってる。地下にはキッチンがあって、普通はそこで食べるんだ。小さな裏庭もあって、天気によってはそこで過ごしたりする(去年の方が今年より多かったけど)。

2階にはリビングルームがあって、そこにはTVや音楽のものなんかがある。僕のベッドルームと、僕専用のバスルームもここにある。3階にはあと3つ寝室があって、ひとつはフェリ、もうひとつはトニおじさんとラファ・マイモ、あとひとつはアルベルト・コスタとフェリのチームのトニが使ってる。実際、すてきな家ですごく居心地がいいよ。ちょっと高いかもしれないけど、そういうものだよね・・・

で、今日はスケジュール通り11時に練習しようとしたんだけど、残念なことに、午前中はあまり天気がよくなくて、すごい通り雨があった。急いで家に帰って、おじさんでコーチのトニが練習に呼びに来るまで調整してた。

僕のPRマネージャーのベニトが、ウィンブルドンをカバーしてるスペインのメディアとの会見を手配してて、1時に家に来ることになってた。雨で練習できなかったから、ずらさなきゃならなかったけどね。結局いい天気になって、すばらしい太陽が出て、大体3時ぐらいに練習できた。スペインのメディアとは、大会側が使わせてくれた部屋で会って、僕たちは45分以上そこにいた。たくさん喋ったよ。本当に。僕はこういうのは大事だと思うんだ。彼らは大変な努力をしてここに15日間(うまくいけばね・・・)来てるんだから。いろんなことを話したよ。記者会見みたいな形式じゃなくて、彼らのことをもう少し知るためのただの集まりで(ほとんどの人はもう何年も知ってるけど)、いろんなことを話した。よかったよ。

タイトルに書いた通り、プレイステーションが戻ってきたんだ。大会の間やってなかったんだけど、2、3日前に持ち出していくつか試合をやった。
今日はクラブでファン・マルティン・デル・ポトロが、前にベニトと話したらしいんだけど、一緒に試合をやろうと言ってきた。彼は冗談で、僕の有名な、何のこと言ってるか分かると思うけど、それを蹴飛ばしてやるって言うから笑ったよ。

だから練習とメディアの仕事の後、彼らは家に来て・・・僕は彼を負かしてやった。3試合やって、ファイナルスコア2-1だ。最初の試合はラッキーだったと認めなきゃならない。最後の1分で勝ったんだから。(クリスティアーノ・ロナルドは決して僕をがっかりさせないんだ)。2試合目は楽勝で(4-1)、3試合目はファンがうますぎた。僕はマンチェスターユナイテッド、彼はFCバルセロナでやったんだ・・・プレステをやるのはバカなことじゃないと思うよ。何時間も何時間もやってたらよくないと思うけど、僕たちは何試合かやるだけなんだ。

今日はブログをいつもより少し早く書いてて、これから夕食を食べるんだ。僕のマネージャーのカルロス・コスタ、IMGのアルベルト・モリーナも一緒だ。フェリは今日負けたから、ちょっと落ち込んでて、前みたいな雰囲気にはならないだろうね。残念だよ。それに冷蔵庫が空っぽだから、これからどうしようかと思ってるんだ。:-)

とにかく、明日はすごく難しい試合になるだろうね。相手はすごいハードヒッターだしサーブもすごく速いから。どうなるかな。

ありがとう。

Rafa


2007年6月28日木曜日

ナダルのブログ@WB07-5

2007年6月28日(木)

今夜はディナーの話はなし。試合がすごく遅く終わったから、ディナーの話ができないほど疲れてるんだ。

今日は試合の日だったから、僕は1日、この試合にすごく集中してた。この数日は特別で、他とは違うんだ。肉体的な強さとかその大切さについて聞かれることがあるけど、僕は、肉体よりも精神的にタフなこともあると思う。今日は最後の試合だったから、なんとなくやりにくい、変な日だった。インタビューでも言ったけど、試合を始めたものの、天気や日没のせいで試合が終わらないかもしれないと感じるのはある種リスキーで難しい。グランドスラムでは1日休みがあるけど、試合が終わらなければ翌日もまたプレーしなくちゃならないという緊張が続くから、精神的にきついんだ。

僕の1日は「早い」時間に始まった。11時にウォームアップがあったから。最後にプレーすることを考えると、これはすごく早いんだ。僕のヒッティング・パートナー、もしくはウォームアップ「キッド」:-)はトニおじさんだった。後でプレス・ルームで「それが今日はスロー・スタートだった理由だ」って冗談を言ったんだ。もちろん冗談だったんだけど、メディアが誤解してないといいんだけど。トニと打ち合いをして、かなり早い時間に終わった。

それから家に帰ってランチを食べて、僕の前の試合が始まるまでゆっくりしてた。普通の大会なら自分の試合が始まるまで会場にいるんだけど、ここでは家がすごく近いから、ちょっと家に帰ってお昼を食べて、少しリラックスしてヘンマン対ロペスの試合をTVで見た。それから会場に戻って試合の準備をした。こうする理由は、僕の前の試合が早く終わったり誰かがケガをしたりすると、僕たちがコートに呼ばれるから準備ができてなきゃならない。もしそこにいないと欠場になってしまうこともあるから、そこにいて準備をしてた方がいいんだ。

昨日はモヤが負けて悲しい、彼もナイキの夕食会に来るべき人だったと言ったよね。ティムのライバルを応援してごめんと言ったけど、今日はフェリ・ロペスがヘンマンを破って、僕は嬉しいと言わなくちゃならない。ティムのことはすごく好きだよ。すごくいい人だし、彼が負けたのは残念だったけど、フェリはツアーでの僕の親友のひとりで、家をシェアしてる人だから、彼が勝ってうれしいと言わなければ嘘になる。彼は大きなことをやったんだ。ヘンマンを地元ウィンブルドンのセンターコートで破ったんだから。僕が言ってることに誰も気を悪くしたりしないよね。みんな分かってくれると思ってるよ。

今日、ポストマッチ・インタビューでセンターコートについて、そしてそこに出て行くのはどんな感じか聞かれた。あそこは他とは違う、とても特別な場所だ。あそこへ歩いて行くとき、そしてコートに出ようとするとき、今でも感動するよ。すべてが特別で、すごくよく手入れされてるんだ。

コートに通じる、海軍の(? with those military marines)白い大きなドアの手前にすべてのトロフィーがあるんだ。なんと言うか、本当に特別で印象的だよ。本当に偉大な感じがする。写真を撮れるかな。:-)

明日はオフで、いくらかの練習と報道関係の仕事と、たくさんの休みの日だ。きっともっと言うことがあると思うよ。

それじゃ、また明日。

応援してくれてありがとう。

Rafa 


2007年6月27日水曜日

ナダルのブログ@WB07-4

2007年6月27日(水)


Hi everyone (これは知ってる) !!!

テニスやルーティーン以外から今日のハイライトがふたつ。

ひとつは今日やったメディア関係なんだけど、すごいことになりそうなんだ。今日映画制作会社がロンドンに撮影に来た。彼らはジダンについての映画かドキュメンタリー(よく分からない)を作ってて、僕に出て話をしてくれないかと聞いてきたんだ。ベニトとカルロスがそう言った時、これはいいと思ったよ。

ジダンはすごい選手だと思う。僕がキャリアの中でより崇拝したスポーツマンのひとりだ。僕にはアイドルはいないけど、多分ジダンはより注目した人物のひとりだ。その映画に出るなんてすごいよ。僕は彼らに、コートの中でも外でも偉大なこのスポーツマンを、僕がどう思ってるか話したんだ。

それで彼らは僕の家に来て、インタビューをやった。15分って言われたんだけど、結局45分かかった。言葉の問題があるといつでもインタビューは長くなるからね。今回は英語はなかったけど、フランス語だったからもっと難しかった・・・:-)


この前は家でイタリア料理の夕食会をやったけど、今夜はナイキ・ハウスでスペイン料理の夕食会があったんだ。これが2つめのハイライト。

日曜日だったと思うけど、僕たちはウィンブルドンのナイキ・ハウスにウェアを受け取りに行った。そう、僕たちは全部タダでもらえる(おまけにお金までもらえる)んだからラッキーだ。だから、毎回グランド・スラムの時に彼らのところにウェアを受け取りに行くんだ。全仏オープンの時は、すごくクールでモダンな家だった。USオープンの時はフィフス・アベニューのすぐそばのナイキ・ストアに行く。ウィンブルドンにはこのすばらしい家があって、彼らの選手全員の面倒をみてる。

僕がフィジアーノ(フェリシアーノ・ロペス)と一緒に荷物を取りに行ったら、そこに僕たちの世話をしてくれてるナイキのニコとロイがいた。ロイが荷物を降ろしてる間、僕たちは楽しく話してて、ニコがスペイン料理の夕食会をそこでやることを考えてると言ったんだ。僕たちはいい考えだと思った。

チャーリー・モヤと彼のチームも招待されてたんだけど、残念ながら彼は負けてもうスペインに戻ったんだ・・・こんなこと言ってごめん。彼は地元のヒーロー、ティム・ヘンマンに負けたんだよね。

とにかく、彼らは「カタラン・スタイルのチキン」を出してくれた。(こういうものだったって言うんだけど、僕はスペインというよりインドだと思った:-)・・・)あと、サーモンとサラダ、クスクス、ポテトなんかが出た。デザートにはチョコレート・プリンを食べたよ。おいしかった。本当に。でも、あんまりスペイン料理じゃなかったな。うーん・・・:-) こんなコメントをして、ニコや他のナイキの人たちが気を悪くしないといいんだけど。:-)

ナダル/ロペス・ハウスの全員が来た。トニおじさん、ラファ・マイモ、フェリシアーノ・ロペス、アルベルト・コスタ、彼のフィジオのトニ、それにカルロス・コスタとIMGのアルベルト・モリーナ、僕のチームのベニト、2、3日訪ねて来てるフェリの友達数人。このディナーの写真を送ってあげるつもりなんだ。

(スペインの基準からすると)早い時間、9時にディナーを食べた。その理由は、(1)僕たちはお客さんだから(2)フェリが明日早い時間に試合をするから。僕は遅い時間に予定が組まれてるからよかったよ。

いつも夕食や朝食のことばかり話してるけど、こういうのはいつもと違うかもね。みんなが嫌じゃなければいいんだけど。

今日のその他のことについて言うと、練習と現地でのワークのあと、すぐに家に帰ってきた。朝11時に練習に行って、2時15分にはなんとか戻ってきた。フランスのクルーと2時の約束だったんだけど、少し遅れた。時間通りに来られたためしがないんだ。僕のせいばかりじゃないと思うんだけど・・・ほとんど僕のせいじゃないと思うんだけど、でも実際いつも遅れてばかりいる。・・・なんとかしなきゃ!


2007年6月26日火曜日

ナダルのブログ@WB07-3

2007年6月26日(火)


Hi there(これ、今日おぼえたんだ)

今日ついに試合をした。すごく満足してるよ。いよいよ始まることにワクワクしてもいたけど、本当のことを言うと少し不安だった。こういう大きな大会が始まる前に心配になったり不安になったりするのはいつものことなんだ。1回戦はいつも難しいし、ウィンブルドンの記者たちにもずっとそう言ってきた。1回戦が難しいのは普通のことなんだ。でもいいプレーができたと思うよ。

でも、試合のことをあまり話すのはやめておくよ。メディアが報道してるから、新聞やラジオやTVで全部見られるものね。

今朝は9時半に起きて、普通の朝食を取った。シリアルとミルク。実はこの前ミルクのボトル(テトラパック)を開けたら、それがよくなかったんだ。何て言うのかな・・古くて、悪くなってた。もう吐きそうだったよ。ほんとに、そのことを考えるとすごく気持ち悪くなるんだ。:-(アルベルト・コスタかトニが、それをコーヒーに入れて飲んで気づいたらしい。それを思い出すたびにもう・・・

あと、パンをいくつか、Nutellaをつけて食べた。あれ大好きなんだ。この前なんてほとんど一瓶食べちゃったよ!今日は、実を言うと、また3つ買ってきたんだ。

11時にヒッティングの予定になってたから、10:30に練習に出かけた。この家はすごく近いから、ゆっくりできるんだ。もしロンドンに滞在してたら、7時か7時半には起きなきゃならない。朝はここに向かう道が混んでるからね。それも、またここに滞在することに決めてよかったと思う理由のひとつだよ。オーケー、出かけたりしたい人にはよくないけど、僕は今週は(できれば来週も)料理を楽しんでるんだ。:-)

練習をして、その後は、いつも決まったルーティーンがある。準備をしながらロッカールームにいて、何か食べる時だけ上(の階?)に行くんだ。上に行かずに、フィジオのラファ・マイモが何か持ってきてくれて、ロッカールームで食べることもある。

ロッカールームでヘンマンとモヤの試合を見てた。次は僕がコートに出るから、準備してなくちゃならなかった。すごく長くてエキサイティングな試合で、すごい雰囲気があると思ったよ。

試合の後は、普通少しフィジオとのワークがあるんだけど、僕たちはいつも家かホテルでやるんだ。今日もやったけど、その前にいくつか報道の仕事をやらなきゃならなかった。試合が終わると、毎回記者団のところへ行って記者会見をやらなきゃならない。他にいくつかのTVやラジオ、時には1対1のインタビューがあることもある。今日、僕の広報マネージャーのベニトがアレンジしたのは、記者会見のあと、ATPのニコラとの短い簡単なインタビューと、3つのTVだけだった。1時間を越えることもあるから、短くてよかった。大会で勝ち進めば長くかかるようになるんだけど、そういうものだって分かってるから問題ないよ。実際、興味を示してくれて感謝してる。

さっき言ったように、その後、家に帰ってフィジオ・ワークを終わらせた。その前にコスタとフェリと、彼らの友達何人か、それにマイモと一緒にトランプをした。「エル・ウノ」(英語で「No.1」という意味)っていうすごく簡単なゲームをやったんだ。単純だけどすごく楽しかったよ。

フェリとアルベルトとその友達やチームは夕食に出かけたけど、僕は家で料理をすることにした。僕のマネージャーのカルロス・コスタ(写真)とIMGのマネージャーのアルベルト・モリーナ、ベニトとラファ・マイモは家で食べるって言うから、僕はウィンブルドンまで「グローサリーしに(to do some grocery)」行った(?)食べ物を買うってこの単語だったっけ?多分そうだよね。マイモに手伝ってもらって、ここ数日準備してきた料理を作ったんだ。まずマッシュルームとガンバとオニオンのパスタ、それにクラブ・スティック(カニカマ)。悪くなかった。本当だよ。

とにかく、もうベッドへ行ってゴッドファーザーの続きを見るよ。明日はもっとやることがあるんだ。

ありがとう、みんな。

Rafa


2007年6月25日月曜日

ナダルのブログ@WB07-2

ラファエル・ナダル:ヒマなときケーキを焼く男。・・・意外だ。ナダルのブログ@ウィンブルドン2日目



The Italian dinner at my house
2007年6月25日(月)
Times Online

こんにちは、みんな。

昨日はEl Cambio de Tercioにディナーに行くと言ってブログを終えたよね。友達が自分のカメラで何枚か写真を撮ってくれたんだけど、まだ送ってくれないんだ。だから、今届くのを待ってるところで、届いたら1枚か2枚ここにアップして、他のは自分用に保存しておく。これを見て彼が目を覚ましてくれるといいんだけど。:-)

僕のウィンブルドンでのブログの2日目、今年の緒戦の前日だ。いや、緒戦になるはずの日なんだけど、聞いたところによると・・・言ったのはトニおじさんだったと思うけど、明日はまた雨になるかもしれないって。たぶん、ここで唯一好きになれないのは、天気だ。練習できるかどうか様子を見ながら待ってるのは退屈だよ。僕は練習が大好きだしプレーしたいから、座って待ってるのはただ退屈なんだ。今日は少し練習できた。最初の練習は3時からインドア・コートで。その後雨がやんだから、普通の屋外の芝のコートでもう一時間できた。今日はダビデンコと1時間半打ち合いをして、いい感じでボールが打てたと思う。

でも今日は、特に面白い日でもあった。僕たちが滞在してるウィンブルドンの家で、いわゆる「イタリア料理の夕べ」をやったんだ。話はローラン・ギャロスまでさかのぼるんだけど、ATPのVittoが僕たちの家で何人かの人を呼んで夕食会をやってくれたんだ。Vittoはイタリア人で、ATPで働いてる。今年でウィンブルドンは29回目だったと思うけど、彼はこういう夕食会を何度か見たりやったりしてて、いつもPanattaや他の選手やエージェントとの夕食会の話をしてくれるんだ。

実は、夕食会を計画したのは彼だけど、ジョルジオが(彼もATPで働いてる)料理の担当だったんだ。今日の夕食会は9人で、僕、トニおじさん、ジョルジオ、ヴィット、ATPのトマス、僕のチームのラファ・マイモとベニート、フェリシアーノのチームのアルベルト・コスタとトニ。フェリはガールフレンドやウィンブルドンの友達と出かけてて夕食会にはいなかった。終わりの方になって来たけどね。

実のところ、ジョルジオはすばらしいパスタを作ってくれた。僕にはマッシュルームとガンバのリングイネ、他の人たちには、同じものだけどトマトと「ズッキーニ」が入ってる。もうひとつ、マッシュルームとズッキーニだけのもあった。

僕はトマトが嫌いだから、彼は僕用に特別なものを作らなくちゃならなかったんだ。料理は本当に、すごくおいしかった。大盛りのパスタを食べたよ。




写真は、ジョルジオの料理中の「混乱」(*注:この写真は上にはありません)、もうひとつは僕がケーキを作ってるところ。今日はアルベルト・コスタの32歳の誕生日だから、彼をびっくりさせようと準備したんだ。この前も家に滞在してるみんなのためにケーキを作ったから、今日も作ってアルベルトをびっくりさせることにした。ベニートが卵と砂糖とロウソクを買いに行ってくれて、僕がケーキを二つ作ったんだ。

すごくうまくできて、ディナーの最後に灯りを消してハッピーバースデーのスペイン・バージョン(Cumpleaños Feliz)をみんなで歌った。さっき言ったように、これはアルベルトのためのサプライズで、彼はすごく気に入ったって言ってた。夕食の間、僕たちは色んなことを話した。もちろんサッカーのこととかね。ディナーをしてるスペイン人とイタリア人がいたら、会話の中心はサッカーに決まってるって想像できるよね?:-)あと、テニスの歴史とか出来事とか、いろんなことを話したよ。

11:30ごろこのブログを書くために戻ってきた。これから、眠れるように映画の続きを見るんだ。今は「El Padrino(ゴッド・ファーザー)」を見てる。僕はいつも寝るとき映画を見るんだ。全部見るんじゃないけど、見始めたり見終わったりすると、いつも眠くなるから。

さっきも言ったように、明日から試合が始まるから、朝(ここの人たちが言うように、天気が許せば)ウォーミングアップに行って、試合の準備をするよ。

大会にいる間はブログを書くことになってるから、明日と水曜日も書けるといいんだけど。

Muchas gracias!

Rafa



追記(2013年6月)
写真がないのが残念です。ケーキを作ってるラファがとてもすてきだったのに。

追記2
ケーキ制作中の写真追加しました。


2007年1月15日月曜日

2006年4月 ナダルのインタビュー記事

古い(2006年4月の)記事ですが、とてもいいインタビュー記事だったので、後半部分を抜粋して訳してみました。原文の英語も平易で読みやすかったです(ナダルが読めるようにやさしく書いたのか?)



The Big Interview: Rafael Nadal
Sunday Times   April 23 2006


8時になってナダルはホテルに戻ってきた。練習で10時間もコートにいても、まだ十分とは感じていない。雨でセカンド・セッションが遅れて彼が中に入っても、ファンは外で傘をさして彼が戻るのを待っている。席を取られてしまうのを恐れているからだ。そんなにしてまで、雨の中マヨルカ出身の若者の練習を見たいのだ。

「暗すぎてもうプレーできなかったんだ」とナダルは言う。使えなかったコートの使用時間に思いを馳せながらソファに身をもたせ、ポテトチップスをできるだけ早く手から口へ運ぶ。コカコーラを「ストローつきで」注文し、渇えたように、あっという間になくなるまで飲んでしまうと、もう一杯注文した。今の彼はティーンエイジャーに見える。さっき8番コートにいたテニス界のロック・スターの4分の1の年齢だ。

「おいしい」。彼は微笑みながら言う。まだ驚くべき速さでポテトチップスをかき込んでいる。「僕は単純なんだ。シンプルなものが好き。ボートで釣りをするのが好き。家族と一緒にいるのが好き。それから・・・」彼は空になったボウルに微笑んだ。「ポテトチップスが好きなんだ」

今、シンプルな場所から来たシンプルなものが好きなシンプルな少年は、途方もない課題にシンプルに取り組んでいる。モンテカルロ・マスターズの決勝でフェデラーと対戦し、タイトルを防衛するのだ。このスイス人選手にドバイで勝った経験は、彼が試合にアプローチするうえで心理的に有利に働いている。しかし、フェデラーを上回るにはまだまだ遠いことも分かっている。「ポイントを見てよ。彼はNo.1だ。これしか言うことはないよ。彼は倒すべき存在なんだ」。彼は、モナコへ来る前にフェデラーに勝った時のビデオを見ていたと認めた。世界一の選手を倒せると知ることで、気分を高めるためだ。

「あの勝利は僕にとってすごく重要なんだ」と彼は言う。「ケガから復帰して2つ目の大会だった。僕は試合を楽しんだ。あの日はすごく冷静にコートに出て、勝ったときはすごく特別な感じがしたよ」。

彼とフェデラーはランキングの1位と2位なので、決勝でしか当たらない。「だから、いつもプレッシャーがいくらか増えるんだ」。

いつも、試合が始まるとすぐに勝つかどうか分かるとナダルは言う。相手に対抗する方法が分かると、彼の言うところの「とても特別な感じ」がする。そして、導かれるのだ。

勝利へ。


ラファエル・ナダルの物語は3人の兄弟から始まる。彼の父、セバスチャンと2人のおじ、トニとミゲル。マヨルカでお互い近くに住んでいる。彼のテニスという冒険は16年前始まった。3歳でサッカーへの興味が芽生えたころ、トニがテニスを教えてくれたのだ。トニは競技テニスの選手で、スペインのナショナルレベルである程度の成功をおさめていた。一方ミゲルはサッカー選手だった。立派な体格のすばらしいディフェンダーで、ここ3回ワールドカップのスペイン代表としてプレーし、今年引退するまで長い成功の履歴を持っていた。

トニは小さな甥に、サッカーの練習と平行して、楽しみのためにテニスをすることを勧めた。しかしすぐに、この少年がラケットを握ると自信満々になるのに気づいた。「サッカーもテニスも続けてたんだけど、少しずつ伯父とテニスをする方が多くなった」とナダルは言う。「でもまだサッカーの方が好きだった。小さいときは、本当にサッカーが好きだったんだ」。

5歳になる頃には、週2回テニスクラブに通うようになった。8歳になって、地元のサッカーチームの有望なストライカーになった頃には、テニスでは12歳以下のグループで地域のチャンピオンになっていた。

「そうしたら、みんながテニスのトップになれるんじゃないかって言い出したんだ」。3歳も年上の子供のための大会で優勝したら、気づかれないわけにはいかなかった。あちこちのクラブから招かれてプレーするようになり、トニはこの小さな弟子にもっと真剣に取り組むようになった。ベースラインから相手を倒せる時でもネットに出るように言い、また右利きにもかかわらず、左手でプレーするように勧めた。「彼は僕がフォアハンドを両手で打つのに気がついて、ある日片手でやってみるように言ったんだ。サッカーでは左足を使ってたから、やってみるべきだと考えたんだね。僕はやってみた。そしたらうまくいったんだ」

あまりにもうまくいった。12歳になる頃には、その年齢のグループの、スペインとヨーロッパのテニス・タイトルを獲り、いつでもテニスをやっているか、サッカーをやっているかだった。すると兄弟の三番目、ラファエルの父セバスチャンが介入してきた。「父はサッカーかテニスかどちらかを選べと言ったんだ。学校の勉強がおざなりにならないようにね」とナダルは言う。「僕はテニスを選んだ。サッカーはすぐにやめなきゃならなかった」。

彼がサッカーを選んでいたら、ステラ・アルトワとウィンブルドンのかわりに、6月のワールドカップに向けて準備をしていたことも十分ありえる。13歳になる頃には、彼は毎日テニスをしていた。9時から正午まで学校に行き、12時から2時まではテニス、昼食を取って、午後は学校。それから夕方もう2時間テニスだ。

14歳のとき、スペインテニス連盟から、マヨルカを出てスペインテニスの中心、バルセロナでトレーニングを受けてはどうかと提案を受けた。しかし両親は彼を手放したがらなかった。「勉強がほったらかしになってたから心配したんだ」とナダルは言う。「伯父たちも両親に賛成した。だから家にいることにしたんだ」

オファーを断るということは、連盟からの経済的援助の減額に同意するということだったが、彼の父親がトレーニングの費用を支払うことを申し出た。トニを含め、ナダルに近い人たちは、家に留まる決心は彼が今のようなプレイヤーになるためには決定的だったと主張する。彼は伯父とトレーニングを続けたが、もっとずっと真剣に取り組むようになった。少なくとも1日2回プレーし、定期的に競技にも参加した。2003年には、ナダルは16歳で世界のトップ50に入った。

「伯父とコーチが一緒なのが、僕にはベストだった。彼はまず僕のおじさんで、それからコーチなんだ。おじさんと一緒に旅ができればその方がいいでしょう。全部の試合に家族が来ることはできないけど、おじさんの中に家族がいるんだ」

私たちが会う一週間前、アンディ・マレーがコーチと別れ、新しいメンターを探し始めていた。「僕は本当にラッキーだって気がついたよ」とナダルはいう。「そんな問題は僕にはない。僕たちはチームなんだ。おじさんと僕と、フィジカル・トレーナー。僕たちは一緒にやってるんだ」

この若者が地に足をつけたままでいられるのは、トニのおかげだろう。彼はナダルに自分でラケットとボールを運ばせるなど、巨大な成功で彼が変わることのないようにしたという話は多くある。

「小さい頃の人生の目標はしあわせでいることだった。今?しあわせでいること。何も変わってないよ。テニスは上手になったけど、それだけさ。僕の中は何も変わってない。僕に会う人はみんな、僕が変わると思うみたいだけど、僕は変わらない。同じだよ。今でも、しあわせでいられればそれ以上のものは望まないよ」

何が19歳の億万長者のテニスの天才をしあわせにするのだろうか?「家族が僕をしあわせにしてくれる。一番の望みは家族がみんな健康でいること。友達がハッピーなこと。僕がテニスをできること」

シンプルな少年のシンプルな望み。「それ以上何がほしいの?」と彼は尋ねる。フェデラーを倒して世界No.1の選手になるのは?「それもいいかもね。しあわせになる役にはたつかも」と、彼は笑いながら言う。

「まじめな話、僕は家族のことを最初に考えるし、家族が僕にとって一番重要なんだ。マナコールでは僕は普通だよ。みんな僕を小さい頃から知ってる。僕が何かで勝てば祝ってくれるけど、他のみんなと同じように扱ってくれるんだ。僕は他の人たちと同じような人生プランを持ってるんだよ」

一番嫌いなのは、負けることと痛み(この順で)だとナダルは言う。「伯父はいつも、このゲームでは負けることが重要だって言うんだ。テニスをやるなら負けることもある。そういうものだって。どの大会でも、すべてのゲームに勝てるのは一人だけだし、すべての大会に勝てる人なんていない。ベスト・プレーヤーでも負けるし、誰でもいつかは負ける。今はそういうレッスンをしてるところなんだ。でも、負けたあとでプレーしに出るときはずっとナーバスになるよ。毎週違う場所で、違う大会がある。負けることもゲームの一部なんだって分かるよ。でも、勝つのは・・・勝つ方がずっといいよね」

ナダルは特にクレー・コートで力を発揮する選手だが、SW19の芝生に最も魅力を感じると言う。「テニスでの夢はウィンブルドンで優勝すること。あの大会ではスペイン勢はうまくやってないし、特別なイベントだからね。どんな選手もあそこで優勝することを夢見るものでしょう?あそこで成功できたらすばらしいだろうね。すごく特別だよ」

インタビューが終わると、ナダルは礼儀正しく立ち上がって握手をし、インタビューの間中テーブルの上で光ったり震えたりしていた携帯電話に手を伸ばした。「さようなら。来てくれてありがとう」と彼は言った。「英語がうまくなくてごめんなさい。英語の4分の1しか話せないんだ。4分の4分の1かもね。うまくないんだ」私は彼に、君の英語は本当に悪くないよと言った。彼はこれからも勉強すると約束した。「次に会うときは、もっとうまくなってるよ」

私が帰りかけたとき、彼は電話に一連の番号を入力していた。「モヤにかけてるんだ」と彼は説明した。「彼はとてもいい友達なんだよ」。このスペインの仲間と2時間後に日本食レストランで食事をする約束を途中までしたのだと彼は言う。「早く食べなくちゃ」と、ポテトチップスのボウルを指す。「すごくお腹すいてるんだ」。いつもフライトを予約する前にモヤに連絡をするのだそうだ。たくさんの人と旅をするのが好きだから。

「いつも友達や家族がまわりにいる方が楽しいでしょう。僕はまわりに人がたくさんいるのが好きなんだ。食べるときも、飛行機でも。いつでも」

やがてナダルの希望や興味が色あせ、ひとつひとつのショットに身を投げ出し、試合が終わるとすぐに伯父と一緒にまっすぐ戻ってくるような熱意に、金や名声や故障がからむ日が来るのかもしれない。しかし今、ナダルは宝物だ。

彼の控えめさ、甘えのなさ、彼の送っている人生の一途な喜びで、彼は私たちの毒を抜いてくれる。成功が何かを変えなければいいと思う。



*追記(2013年6月)
元記事にリンク貼りたかったのですが、Timesが有料になり、探せません。すみません。
たぶん(Timesなので)Neil Hermanさんの記事なのではないかと思います。

記者はAlison Kervinさんだそうです。ふぁらみあさん、ありがとう。
元記事へのリンクもありがとうございます!