2013年6月26日水曜日

ナダルのインタビュー@WB13 1回戦敗退後

2013年6月24日(月)
ナダルウィンブルドン1回戦敗退後のインタビュー
lost to Steve Darcis 7-6(4) 7-6(8) 6-4 

何がうまくいかなかったのか、そして何がうまくいったのか、もし何かあれば教えてください。何が起こったのですか?
起こったのは、これがスポーツだということだ。いいプレーをして勝つチャンスがあることもあるし、最悪のプレーをして、相手がいいプレーをすれば、負ける。

それがスポーツのいいところだ。それだけだよ。

僕にとって今日いいことは多くなかった。ダルシーを祝福するだけだよ。彼は正しい決断をし、いいプレーをしたと思う。

コートで少し足を引きずっているのを見ましたが、負けたのにはケガや肉体的な理由があるのですか?
今日はそういう日じゃない。僕はすべての瞬間でベストを尽くそうとした。今日はそうできなかったけどね。

相手はいいプレーをした。僕にもチャンスがあったけど、ものにできなかった。芝は自分を、自分のゲームを適応させるのが難しいんだ。。大会の前にプレーするチャンスがなかったら、僕は今年なかったけど、もっと厳しい。自分のリズムを見つけることができなかった。

全仏の後、何をしていましたか?芝の前に、どれぐらいオフを取っていて、どれぐらい地元のハードコートなどで練習したのですか?
ここには火曜日に着いた。その前は家のジムでトレーニングして、長く成功の続いた一連の大会から体を回復させるために正しいことをしようとしていた。

これだけだ。特別なことはないよ。

この大会との関係で言うと、ハレでプレーできなかったことはどれほどの打撃でしたか?
今年はハレでプレーするチャンスはなかった。今話すのはつらい。今日重要だった唯一のことは、ハレでプレーすることはなかったけど、僕はもちろんプレーしたかったってことだ。

でも、過去に戻ることはできない。2週間前に戻ることはできない。起こったのはそういうことだ。僕にはそのチャンスがなかった。ベストを尽くしたけど、それは不可能だった。それしか言うことはできない。相手を祝福するだけだ。結局これは悲劇なんかじゃない。スポーツなんだ。

去年ここで負けた時と状況はどのように似ていますか、またはどのように違いますか。
比べることはまったくできないよ。こういう質問にどう答えていいのか、本当に分からない。

去年はロソルに負けた後、ケガをしていましたね。今はどういう状況ですか?
何について?

身体的な状態です。
さっきも言ったけど、今日はそういうことについて話す日じゃないと思う。しっかり回復して次の大会に備える自信があるよ。

ケガの後、ここまで夢に見た以上のプレーをしてきたんだ。僕にとってはすばらしいし、すごくポジティブなことだ。僕がいいプレーをするには、芝は難しいサーフェスだってことは分かってた。

今年はだめだった。今後の何年かはベストを尽くすつもりだよ。

ここ数日の練習で、1回戦が厳しくなりそうな兆候はありましたか?失望はどれほど大きいですか?
土曜日にここにいたよね?たぶん、僕にとって最も難しいサーフェスだと言ったよ。他のサーフェスよりも低い位置でプレーしなくちゃならないから。

それは本当のことだ。土曜日に誰にも嘘をつかなかった。そういうことだ。次の大会に向けて一生懸命トレーニングするよ。

何度もフォアに回り込みましたが、うまく動けていませんでしたね。膝は今日100%だったのですか?
冗談だろう。この質問にもう3回か4回答えたよ。今日は僕の膝について話すつもりはない。

今日言えるのは、スティーブ・ダルシーにおめでとうと言うことだけだ。彼はすばらしいプレーをした。今日、僕の膝について言ったらすべて言い訳だ。今日みたいな試合に負けた時に言い訳するのは好きじゃない。

彼は言い訳にはふさわしくないよ。

パリで、スケジュールを調整することについて少し話しましたね。もっとよく見直す必要があると考えているのではないですか?もちろん、クレーでプレーするのが好きだと思いますが、試合が多いですよね。このことを、将来に向けて、もっとよく見直す必要があると考えていますか?
何?分からなかった。

パリで、スケジュールを見直すかもしれないと言っていましたね。クレーであれほど多くプレーするのは、あのサーフェスを愛していても、体への負担が大きいと考えているのではないですか?
僕がプレーしすぎてるかどうか?そういう質問?

スケジュールを見直す必要があるのではないかと思うのですが。
どんなふうに?

春の大会を減らすということです。
大会を減らす?

そうです。
僕には未来を予言することはできない。計画をたてるときに、それがいいか悪いかは分からない。6時間前には、完璧なスケジュールだったのに、今は正反対だ。でもそれは真実じゃない。

言った通り、ケガから復帰して以来、自分がプレーできるという感触を持った時にプレーしてきた。プレーするのに申し分ないと感じた週にプレーしたというのが僕の感覚だ。

そして、ここウィンブルドンには、できるだけいい状態で入ろうとした。たぶん今年は今までになく大変だと分かっていたから。そして、本当にそうだった。

そういうこと。スケジュールは僕にとっては完璧だ。9大会のうち7つで優勝、2つは決勝に出た。今日、何か変えるということは言えないよ。そうするつもりはないから。今のスケジュールのままでいく。僕のシーズンはすばらしいよ。5か月前に思っていたよりずっといい。だから、すべてに満足してる。

今日は負けたけど、それは起こりうることだと分かってる。そして、それが起こった。それだけのことだ。

今でも、戻って来てウィンブルドンでもう一度優勝できると感じていますか?
2003年にも2004年にも、2005年にも、2006年にも2007年にも、分からなかった。だから・・・分からない。

僕にできるのは一生懸命やってこのサーフェスでの自分のゲームにチャンスを与え続けることだけだ。ここであと何年かプレーできて、ふさわしいレベルでプレーできるといいと思う。今年も去年も、すばらしいプレーはできなかった。それは明らかだ。でも努力するよ。

去年ロソルに負けた後、あなたを7ヶ月間見ませんでした。今回はどうでしょうか。いつあなたに会えるか、楽観的に考えていいですか?いつ、どの大会で復帰する予定ですか?
あまり遅くならないよ。それは確かだ。

2月に復帰した時、全仏が最優先でしたか?それともウィンブルドンがそれに並びますか?
本当に、順位はないんだ。どの大会でもベストを尽くそうとしてる。250でも500でも、グランドスラムでもね。もちろん、ローランギャロスは僕のゲームに合ってる。

でも、このスポーツでは、特定の大会に備える方法はないと思う。いろいろなことのせいで、そんなチャンスはないんだ。重要な大会に自信をもって入るには、試合に勝たなくちゃならない。十分にフィットするためには、試合をしなくちゃならない。それで、どの大会でも、僕はベストを尽くそうとしてるんだ。

いい状態で入れる大会もあれば、よくない大会もある。それだけだ。僕はキャリアの間じゅうずっとそう努力してきたし、プレーしてきた。

ダルシーがいいプレーをしたとしても、残念な敗退でしたよね。すぐに忘れることができますか?それとも何日かは心が痛む?
人生は続く。前にも言ったように、ドラマチックなものじゃない。スポーツなんだ。ゲームにすぎないよ。

2週間前、僕はすばらしい大会で優勝して、すばらしい状況にいた。その2週間後にはここで1回戦敗退だ。これがこのスポーツのポジティブなところでネガティブなところだね。

1回戦で負けるのは厳しいよ。でも、言ったように、ツアーは続くし、人生も続く。これは勝者のスポーツで、敗者のスポーツじゃない。敗者のことは誰も覚えてない。みんなが覚えているのは勝者だ。僕は敗者のことを覚えていたいとは思わない。

傲慢な人間だけが疑いを持たないと言いましたね。何度かそう言いました。芝での自分のプレーに疑いを持っていますか?それとも、クレーで育った人間として、芝で成し遂げたことを誇りに思いますか?
もちろん、疑いはあるよ。芝での疑いはある。クレーでも疑いはあるし、ハードでも、もちろんインドアでも。

疑いを持たないとすれば、それはテニスに情熱を感じていないからだ。ローランギャロスの1週目に、僕が疑いを持ってるのが分からない?もちろん、たくさんの疑いを持ってるよ。

今日は疑いをもってプレーした。そして、負けたんだ。

でも、自分の芝でのプレーを誇りに思う?
今日を誇りに思うか?

今日ではなく、ここ数年、あなたが芝でやったことに。
どう思う?5回の決勝と2回の優勝。どれだけの選手がこれを持っているんだろう。僕にとってはすごいことだ。でもそれが、僕がこのサーフェスで成功する努力を続けないという意味ではないけどね。

ソース:Wimbledon



2013年6月14日金曜日

ナダルのインタビュー@El Pais

ナダル2013年全仏優勝後のEl Pais(6月10日付)のインタビュー。
ナダルニュースのGennyさんの英訳から和訳させていただきました。
例によって英語力の限界から誤訳、読み違い、よく分からずてきとうに訳してあるところもありますのでご容赦ください。。。


SFのジョコビッチ戦の時のように、対戦相手に限界まで追い詰められるのはどんな気分ですか?
僕が感じる唯一のことは、もう少し我慢しなくちゃならないということ。それが唯一感じることだ。「もう少し抵抗しよう。どれぐらい長く相手が抵抗できるかは分からない。すごく苦しいけど、相手だって限界かもしれない。もう少し追い詰めてみて、勝てるかどうか見てみよう」。この追加の努力はいつでも価値がある。勝っても負けてもね。ロッカールームに戻った時の個人的な満足感の問題なんだ。何物にも代えがたいよ。説明するのが難しい感情だ。

あなたは負けることを拒みますが・・・
僕は負けることを拒むんじゃない。拒んでるのはタオルを投げること。諦めるのを拒むんだ。そのことが、すべてが終わった時に僕を幸せにしてくれる。できることは全てやったと分かってるから。それで負けたら、負けたってことだ。

あなたは時々、苦しみが友達であるかのように話しますね。ジョコビッチと同じように・・・
彼はすばらしい闘士で、すばらしい苦悶者だと思うよ。

でもほとんどの人は、必然的に、苦しみはできるだけ少ないほうがいいと思っていますよね。この違いはどこから来るのでしょう?
やっていることへのモチベーション、やっていることへの情熱から。情熱をもってやっていることのすべてを生きていることから。そこへ至るのに払わなければならないすべての代償から。それが僕をあきらめたくないと思わせる。そこへ辿りつくための代償が何であるか知っているから。それは肉体的な苦痛、精神的な苦痛だ。本当に・・・でも、とにかくローランギャロスのセンターコートでプレーしてるんだ。子供の頃の夢、特別だと分かっている試合を生きている。とても重要なものだから、何が起こったとしても、その年最高の試合の一つになると分かってる。苦痛かって?もちろん。でもそれは贈り物であり、その瞬間にそこにいられる喜びでもあるんだ。

以前、競う力があると感じるためには、トレーニングや試合を多くこなす必要がありましたね。今年、たった8大会でプレーした後でローランギャロスを制覇したことは、もはやそれは必要ないということを示しています。この結果はあなたの技術の質がメンタルやフィジカルの強さを上回ったことを示唆していますか?
それはキャリアにおける必然的な進化だ。年をとれば、より自動的になることが増える。ゲームはより落ち着いて、実際、あまり準備も必要ない。正直なところ、価値としては、精神的、肉体的強さがあるのがすばらしいのは明らかだし、相手を納得させるにはそういう考えは有用だと思う。精神的にも肉体的にも、僕はずっとタフな選手だったと思うし、いつでも自分を越えようとしてきた。闘志と決してあきらめない姿勢に加えて、向上するためのモチベーションといった価値は、とても重要な精神的な能力だ。でも、他の何がなくても、僕が成し遂げたことに至ることはできなかっただろう。たとえば、すばらしいフォア、すばらしいバックハンド、それにボールのコントロールのよさ。僕たちは他のことを強調するあまり、こういうものに光を当てることを忘れてしまうことがある。

ラケットがなかったら勝てませんしね。
精神的、肉体的強さは試合のどんな時でも助けになる。でも、全体で見れば、テニスで勝つんであって心で勝つんじゃない。この間のジョコビッチとのSFみたいに心で試合に勝つこともあるけど、心で勝つためには、限界の状況まで行かなくちゃならない。そして、限界の状況までは、テニスで行くしかないんだ。いろいろなことが混じり合ってるんだ。僕が到達したところへ到達させてくれたのはテニスだ。そして精神的な強さは、それがなければ成し遂げられなかっただろう追加的なものを成し遂げさせてくれた。

あなたの技術が評価されていないのは、美的価値観の問題?フェデラーのような片手バックハンドを持っていないから?
もし僕の対戦相手に訊けば、僕は、テニスについて言えば、特別なものを持っていると言ってくれるだろう。精神的な強さはいつも強調されるかもしれない。僕は長い試合を戦ってきたからね。5時間とか。劣勢から巻き返して最後まで5分5分、そういうタイプの試合は最も記憶に残る。もちろん、僕のプレイスタイル、戦い、あきらめないスタイルはこのタイプの試合には有利で、僕のキャリアに欠かすことはできない。フェデラーは、彼のゲームの性質で、3ショットで決まることさえ多くて、キャリアの中でもそんなに長い試合はなかった。技術的には、彼が僕より上なのは間違いない。でももちろん、僕だって他のほとんどの人たちより上だ。そうでなかったら、ここに来ることはできなかっただろうから。

「目標のないスポーツなんてばかげてる」と言いましたね。
それは、僕がいつも考えてることだし、そういう風に生きてきた。僕たちは現実的にならなくちゃならない。目標もなしにテニスをする・・・いいよ。ネットを越えるようにラケットでボールを打つ。でもそれにどんな意味が?ほとんどない。それ自体がばかげてるよ。最大限のところまでやらなれば、スポーツなんて全部ばかげてる。最大限というのは、目標を、情熱を、モチベーションをもってプレーすることだ。それが、僕が人生でずっと考えてきたことだ。ゴルフをする時も、最善を尽くそうとしてる。間違って取られることもあるよ。「彼が好きなのは勝つことだ」って。僕が愛しているのは、競うこと、努力、最善を尽くそうと集中することだ。もちろん、勝つのは好きだよ。でも僕を本当に満足させてくれるのは、自分ができる最高のことをやっていると感じることなんだ。そうでなければ、僕には意味がない。そうでなければ、気晴らしにやることを受け入れて、何か他のことをやる方がいい。

自分の仲間がロッカールームで自分をアイドルのように見るのをどう思う?マドリッドであなたがホレイショ・ゼバロスと話して、彼の幸運を祈ると、彼は歓喜して「法王に祝福してもらった」と言いましたね。
そんなの想像できないな。正直、僕はどんな選手とも親しく感じるんだ。特にスペイン語を話す人たちとはね。関係が簡単だから。彼らが僕のことをそんな風に見てるとは思わない。どうかな。僕は自分を気さくな人間だと思ってるし、みんなそういう風に見てると思うよ。

これで、2012年にケガをして去ったウィンブルドンに(6月24日から)戻るわけですが。
去年はウィンブルドンにはいい気分で入れなかった。ケガをして、(膝に)注射してプレーしたんだ。僕にとっては大切な大会だから、努力しようとした。できなかったけどね。無理をしすぎたんだ。僕がそこでやりたかったことは、限界を超えてた。それが、その後起きようとしていたことに悪い影響を与えたわけではないけど。今年、僕がウィンブルドンに出られたら、そこにいるというだけですばらしいニュースだ。美しい大会だよ。大好きなんだ。きちんと準備して出られなくても、そこにいられるというだけで満足だよ。

頭をすっきりさせてくれる?
僕を満たしてくれる。芝のコートに出てプレーする感覚が好きなんだ。それは違う感覚だよ。僕にとっては、結果がどうでも、いつでも価値があるんだ。いつもより準備ができていない?(初めて前哨戦に出ずにウィンブルドン入りする)。うん、でもいつでも結局は同じことになる。健康な状態で、肉体的にフィットしていれば、メンタルもよくなると思う。そうして、運よくいくつかの試合で勝ち進めたら、メンタルの健康という意味では、前哨戦を戦わないことが結局は肯定的なものになる。あそこでは、全ての試合が難しい。1年で最も不確かな大会だ。ここで優勝したことが、僕におまけの自信をくれて、ウィンブルドンでいいプレーをさせてくれることもあるよ。

2008年のナダルはパリの決勝でフェデラーに4ゲームしか許しませんでした。彼は2013年のナダルより上?
テニスという意味で? そうかもね。いろんな時があるんだ。2008年の僕には、2013年の僕が持っていないものがあったし、2013年の僕には2008年の僕にはなかったものがある。ローランギャロスに限っていえば、2008年はキャリアの中でも最高のプレーをしたかもしれない。でも見なくちゃならないのは全体だ。2008年には、僕は、たぶん成績のおかげで僕が今も居続けている場所にいた。でもこれらは過去のことだ。僕は前を見ている。

休んでいた時期にもらった最高のアドバイスは何でしたか?
休んでいる間、家族がまわりに居てくれてラッキーだった。それがすごく重要なんだ。それにチームが、体調を維持するのに必要なモチベーションとメンタリティをもってトレーニングを続けるのを助けてくれた。僕を信頼し続けてくれる友達やスポンサーもいた。それが重要な自信の源になってるんだ。

あなたは、各選手に行われたドーピングテストの正確な回数を公表するように依頼しましたね。欠場している間、あなたがいないことを分かっている人がいるのは気になりますか?
選手が出て来て「僕のテスト回数は少なすぎる」と言うのは気に入らないんだ。そんな風にしてよく見せるのは簡単だよ。とか、「僕のテストは多すぎる」とかね。僕は「これだけテストされてる」と言ってほしいんだ。何回、ということをね。そうやって公にすれば、疑いを持たせたり、「彼はテストが少ないと言っているからいい人で、もう一人は多すぎると言ってるから悪い」と感じさせなくてすむ。理屈にかなってるのは、すべてを公にすることだ。そうすれば、こういうことに疑問は残らない。いない?どんな時も僕はいなかったことなんかない。僕を見つけたい人は誰でも、どこで見つかるか分かってる。家にいて、毎日トレーニングしてたんだから。